哀しみと幸せの両立は可能か―――『昨夜のカレー、明日のパン』
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こんばんは。とってもお久しぶりです。
更新滞っていてすみません。ちょっとネット環境の調子が悪くてPCを開けていませんでした。店番のお話もしたいのに…。
なんだか久々すぎて書き方を忘れてしまっていて大丈夫かなと不安ですが、今日も1冊の本のご紹介です。
お仕事に疲れた時、辛い事があった時、ちらりと覗いてほしい本です。
反する感情を丁寧な筆致で描く
珠玉の人間ドラマ
あらすじ
夫、息子を亡くした妻と父、笑顔を忘れたCA、いとこを亡くした大学生、周囲の死を察知できる女性、孤独を抱えた小学生…。
皆、それぞれ哀しみや嘆きを抱えながら、それでもしっかり生きている。哀しみや孤独の狭間に、日常のまにまに、胸の重石を軽くする発見を見つけることができるからだ。なんだ、そうかと、前を向くことができるからだ。
そしてそれは、一瞬垣間見えたかと思うと、雲のようにまた霞んでいく。ふっと現れ、刹那に消える。
「発見」と「ため息」を繰り返して人は、着実に前へと進んでいくのだ――――…。
哀しみって、厄介な感情だなあと思います。長いこと自分の中に居座り続け、自分を悲劇のヒロインよろしくさせてしまう。自分の中に居場所を見つけて、その場を居心地の良いように整えてしまう。取り込まれると、幸せになってもいいのだろうかと疑問まで抱いてしまったりもして、強敵だなあといつも思います。
一方幸せも厄介です。自分に居付いてはくれず、四方八方を飛び回って自分から追いかけるしかない。つかんだと思ったらすぐに消え、また追いかける日々が続いていきます。実はすぐ近くにいたという童話も存在するぐらいですから、見つけるのはよほど苦労するのでしょう。
こんな相反する2つの感情が、自分の中で両立する―――そんなこと信じられないと思ってしまいますが、でもそれを丁寧な筆致で伝えてくれるのが本書です。
本書に登場する人物たちはみな、どこかしらに哀しみを抱えながら日常を過ごしていきます。哀しみに捕らわれそうになりながら、日常の中に、喜びや幸せを見つけていく。その時に、喜んでもいいんだろうか、幸せを感じてもいいんだろうか、彼らは躊躇しません。哀しくても、つらくても、幸せだなあと感じることはできるのだと、彼らは教えてくれているのかもしれません。
最近不謹慎叩きがよく取りざたされていますが、それに疑問の一石を投じるのも、こういった本なのではないかと思っています。
哀しいときに幸せを感じたからといって、元ある哀しみが減るわけではありません。でも逆に、哀しくくても幸せや喜びを感じることはできるのです。
辛いままでも、誰かと笑顔を共有することはできるのかもしれません。だから、不謹慎だからと楽しいことやわくわくすることを自粛ばかりしてしまうのは、違うのかもしれない、と思えるストーリーです。
そんな本書、『昨夜のカレー、明日のパン』の魅力は、内容もさることながら、その文章にもあります。作者は数々のドラマを手がける名脚本家、木皿泉。『セクシーボイスアンドロボ』や『やっぱり猫が好き!』『Q10』と聞くと、ご存知の方もも多いかもしれませんね。そんな有名どころのドラマと違うのは、流れる時間です。本書にはゆったりとした時間が流れていて、世界観を心ゆくまで堪能することができます。映像がすぐに思い浮かぶような文章は、そのまま実写化できるのではと考えてしまうほど。…と思っていたら、どうやら某局でドラマ化されていたみたいですね。こちらもおすすめなので、ぜひ。脚本家はもちろん木皿泉です。
人間誰しもがぶつかる感情との付き合い方をテーマに、優しい文章で描く人間ドラマに、浸ってみてはいかがでしょうか。